自分にとって、何もかもがチャレンジングな本でした。
長編(というには少し短いですが)であること、今まで何となくぼんやりしていた、百年前の二人を書くこと。厄災の日を真っ向から描写すること。
すべてがはじめてのことで、本腰を入れてから約半年、嘘偽りなく四苦八苦でした。
なかなか方向が定まらず途方に暮れていたのですが、たまたまとある本で哲学者カントの解釈を読み、「これだー!!」となりました。
カント哲学の何が分かるかってまあほとんど分からないんですが(……)、『実践理性批判』という本の最後にある、
「わがうえなる星の輝く空とわが内なる道徳律」
という一節がとても詩的で好きで、ずっと記憶にありました。
で。
BotWをクリアした時からずっと、私には厄災当日のリンクさんの行動(命を賭して姫様を護る)が謎でした。
あの極限の状況で、人一人のために本当に死ぬまで戦い続ける、その動機とは何なのだろう。
何が彼をそうさせたのだろう。
もちろんリンゼル〜なので愛情、といいたいところなのですが、それだけではたくさんのものがこぼれ落ちてしまう気がして、なかなか手を出せない事案でした。
が、カントのこの言葉を思い出した時、すっと腑に落ちるものがあって。
誰にとってではない、彼の中にだけある「律」に従った。ただそれだけのことだったのかな、と。
その「律」に、ほんの少しでも近づいていけたら……という気持ちで、手探りながら書き進めていったように思います。
といっても、どこをどう読もうとも、読んでくださった方のご感想が全てなので、あくまでこれを書いていた時の自分の心境がこんな感じでした〜というくらいで聞き流していただければ!
コンセプト?テーマ?みたいなものは全部あとがきに書いているような気もするので、余談をひとつ。
馬の世話をする人、と想像した時、ぱっと出てきたのは「馬丁(ばてい)」という言葉でした。
自分ではまったく違和感なく使っていたのですが、何となく気にかかって調べてみたら、現代ではほとんど使われていない言葉だそうで、めちゃくちゃ驚きました。
(慌てて類語を調べて「馬番」に変えました)
馬丁、という表現を使われていたのは主に江戸時代までなのだそう。
歴史・時代小説で育ってきた自分にとってはごく自然な単語だったので、まったく気にしていなかったという……。
言葉を使う、言葉を選ぶということの難しさを痛感した一件でした。
【6.26 追記】
↑ほとんどキャラとかBotWの話してないな?!と思ったので追記です。
百年前のリンクと回生後のリンクって、どんな関係なんだろうな、とあたらめて考えました。
このあたりは本当にプレイした方それぞれの感覚があるだろうと思うのですが、私は記憶と自我は限りなく近いものだと考えているので、”私の中では(強調)”百年前のリンクは死亡扱いです。
そして百年後に甦った=回生したわけですが、そこにかつての記憶が無い限り、私の中では
百年前リンク≠回生後リンク
という認識です。
※自我や人格といった精神的な記憶の集積と、肉体が持つ記憶(手足を動かすとか、道具を使うとか)が分離可能か否か(概念/実体両面において)というのはすごく繊細な問題なので、そのあたりは一旦置いときます。
だから今回のお話は、全体的に”悼む”トーンでした。暗い!でも好き!(自分に正直)
考えてみるとBotW全編にあふれるもの悲しさは、この”悼む”にあるような気がします。
各地に残る厄災の爪痕。王や英傑たちの魂。過ぎたもの、帰らないものに、一人思いを馳せる旅。
その旅の終わりにいるのが、ただ一つだけ「今」として残る姫というのは、こう、グッとくるなと……!!
ちょっとセンチメンタルな話をすると、百年前の彼は死んでしまったけれど、彼の心は回生後(なかんずくTotK)のどこかに生まれ変わっていたらいいなと思っています。私は初恋は実らせたい派です。